平谷歴史探訪 |
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タイムトリップ平谷 歴史探訪ウォーキングへGo!!かつて三州街道「塩の道」の宿場町として栄えた平谷村の街並み。馬追いたちが安全祈願のため建立した馬頭観音。森の中の小さな神社・・・。 平谷の人々の心が息づく歴史の道をのんびりと散策してみませんか? スタートは資料館「夢ひらや」まずは、平谷村の歴史が集積された資料館を見学してみてください。
歴史探訪ウォーキングに出発!!資料館での見学を終えたら、ぜひ外に出て村の空気と文化財に触れてみてください。一歩足を踏み出せば、様々な発見に出会うことができます。 爽やかな高原の風を受けて、胸いっぱいに深呼吸しながら、中馬の里を散策してみませんか。 【柳平コース】 1周約3.3km 所要時間約1時間 村社諏訪神社、コゴメヤナギの古株が残る浅間神社、街道の面影が残る柳平の町並みを歩く。 夏にはひまわり畑が見事です。 【西町コース】 1週約2.6km 所要時間約50分 雲谷寺、旧街道の風情豊かな西町、中馬の壁画や馬頭観音も見ることができます。 上之山自然公園に登れば、平谷村全体が見渡せます。 道順は、資料館「夢ひらや」のパンフレット裏側「平谷歴史探訪マップ」に掲載されています。
※途中で道に迷ったり、場所が分からなくなっても・・・。 通りがかりのおじいちゃんやおばあちゃんに聞いてみてください。親切に教えてくれますよ。 Webでお勉強【歴史を見続けた三州街道】 室町時代後半、世の中は乱れ、各地に有力な大名が力をつけ天下をねらうようになりました。 1550年(天文23年)頃、甲府(山梨県)の武田信玄は、三州道沿いに勢力をのばし、三河方面から京都へ出て天下統一をしようとしました。 そこで、三河への軍事用道路として、三州街道を整え、地形的に見て戦いに有利な平谷の滝の沢に城をつくりました。これが、滝の沢城です。 その当時の滝の沢城は地形をうまく利用して兵士を配備し、戦いの時には守備防衛の陣地として、敵に攻められない形につくったもので、守りのかたい城といわれました。 その後1593年(文禄2年)豊臣秀吉のけらいで、飯田城主の京極高知が伊那10宿(伝馬の宿駅)を定め、平谷もその宿のひとつになり宿場の形が整いました。 江戸時代になると平和な時代が続き隣の国とのやりとりが盛んに行われるようになり、山国である伊那谷の人々は、この街道を通して海の産物を盛んに運び出しました。伊那街道の宿場だった平谷は、海と山とをつなぐ中馬街道の中継地として、栄えました。 運ぶ荷物には、東海道方面から長野県に入る「上り荷」と長野県から東海道方面に入る「下り荷」がありました。「上り荷」は、塩、魚、石油、砂糖、茶、綿など、「下り荷」は、串柿、葉タバコ、寒天、生糸、紙、木材などの長野県でとれるものでした。 この頃の平谷宿は、畑が少なかったため、中馬に関係のある仕事をする人や、山仕事をする人、木地師という職人も多くいました。 木地師は、山から山へわたって良い木を探し、ろくろでお盆やお椀などを作っていました。 明治に入り、三州街道は修理され、道幅も広く整えられると、運送馬車が盛んになりました。 中馬業の人は、運送業や山仕事をするようになったため、次第に中馬追いの姿は見られなくなっていきました。 |
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